真の働き方改革を考える―「女性が働くということ」
「東大卒・女性キャリア官僚の私が、霞が関を去った理由」
―6/4(火) 7:00配信 現代ビジネス―から
官僚の激務と、その割には充実感を得られない毎日。このまま仕事を続けていくと心も体もダメになりそうな不
安。「女性活躍の推進」が一部のスーパーウーマンをもてはやすものになってしまっている現実が書かれています。育
児と仕事を両立するために、実家の親に全面的に頼るか、あるいは、お金を惜しまずベビーシッターや家事支援を駆使
するか。そのどちらかができなければ女性は「活躍」できないのか。普通の女性が、そこそこ頑張るだけでは、社会的
に認められないのか。
文中にある「環境を改善することなく、耐えて耐えて耐え忍んだ女性や恵まれた環境にある女性をロールモデルとし
て崇めても、女性職員へのプレッシャーがますます強まるだけです。」という言葉に、強い共感を覚えます。普通の人
が普通に頑張るだけでは評価されない職場実態を捉えた一文です。お時間があれば、ぜひご一読ください。
東大卒・女性キャリア官僚の私が、霞が関を去った理由 6/4(火) 7:00配信 現代ビジネス
辞めていく女性官僚たち
私は数年前に官僚を辞め、それまで勤めていた霞が関の官庁を去りました。
東京大学を卒業後、就職してから3年以内の早期退職でした。辞めた理由はいくつかありますが、霞が関の組織のあり方や職員の働き方についてさまざまな疑問や不安を感じていたことが、大きな決め手のひとつになりました。
この春、霞が関を去る若手キャリア官僚のニュースが話題になりました。最初は高い志を持って就職した官僚でも、労働時間や業務内容などを理由にキャリアを再考し、就職から数年で転職してしまう。この実態は霞が関にとって大きな痛手だと報道されていました。 たしかに近年、同じように就職から数年で退職した若手職員の話を耳に入れることが多くなりました。実際に辞めていなくても転職を検討している人、検討したことがある人、「仕事は続けたいけれど、ここでずっと働くつもりはない」と言っている人の話もよく聞きます。
その中でとくに気になっているのが、もともと母数が少ない割には、女性の職員が辞めたという話を耳に入れる機会が多いことです。もちろん私が女性であるがゆえに女性の話が伝わってきやすいのかもしれませんし、統計をとったわけでもありません。しかし、個人的な印象で言えば、女性のほうが早い段階から転職の可能性を視野に入れている人が多いように感じます。 これは一体、なぜなのでしょうか。本来は女性活躍を推進する立場にあるはずの霞が関の現場で、なぜ多くの女性官僚がキャリアに悩み、転職を検討するのでしょうか。
すべての女性官僚に当てはまるわけではありませんが、そこには単に「長時間労働で辛いから」という言葉だけでは割り切れない、女性ならではの事情もあるのではないかと考えています。
私自身、「ここは女性として安心して働き続けられる職場ではない」と判断した経験があるからです。若手官僚、とりわけ若手の女性官僚が転職を考える理由について、私自身も経験した女性としての悩みにスポットライトを当てながら考えていきます。
モチベーションを奪われる職員
私が官僚として働きながら日々感じていたのは、「就職前の私は何を勘違いしていたのだろう」ということでした。
官僚の仕事は過酷です。夕方からが本番といっても過言ではありません。国会の会期中には、夕方に通告された質問に対する回答をその日の夜から翌朝にかけて作成することもしょっちゅう。法改正に携わるチームに配属されれば、数ヶ月のあいだ毎日のように終電帰りや深夜残業が続きます。
多忙な時期には土日祝日や年末年始を返上して職場に泊まりこみ、月200~300時間の残業をこなしている職員もいました。ここまではいかなくとも、月100時間前後の残業を数ヶ月以上に渡って続けている職員は決して珍しくありません。
しかも、長時間の残業をしながらこなす業務は、有意義なものばかりではないのが現実です。国会対応における「待機」など、時間を費やす意味を感じづらい業務もあります。また長時間労働の割に給料が高いわけでもなく、残業代が出る保証もありません。
同学歴・同年代で同じくらいの激務をこなしている人と比べれば、恵まれているとは言いがたい待遇です。こうした状況に疲弊してモチベーションを奪われる職員は男女問わず少なくありません。
深夜にベビーシッター
こうした光景を目にして、私の中で不安としてわだかまったのは、やはり結婚・妊娠・出産・子育てと仕事の両立の難しさでした。
「長時間労働の霞が関にいる限り、家庭とキャリアの両方を充実させるのは不可能なのではないか」という不安は女性官僚に重くのしかかります。当たり前ですが妊娠・出産は女性にしかできませんし、男性の家事・育児参加が叫ばれる昨今でも、負担は女性に偏っているのが日本の現状ですから。
実際、知り合いの女性職員には、睡眠不足とストレスで生理がこなくなった人がいました。夫婦ともに官僚で、繁忙期には深夜にベビーシッターを呼んでいる家庭の話も聞いたことがあります。霞が関で働きながら結婚~子育てにおけるあらゆるハードルをクリアするには、高いモチベーションと体力・精神力、パートナーの理解と協力体制、周囲の手厚い支援は最低限必要でしょう。
もちろん国家公務員は、制度面だけを見れば支援策が整っているほうかもしれません。産休・育休はもちろん取得できますし、子どもが小さいうちは時短勤務、超過勤務の免除・制限、深夜残業の制限といった制度を利用できます。フレックス制度もあります。しかし期間が限られているものが多く、決して十分とはいえないと感じます。また人員不足のため、制度があっても実際には活用しづらいケースもあると耳にしました。 時短勤務ができたのはいいものの、出産前に担っていたような政策に中心的に関わる仕事が回ってこなくなり、国家公務員として働く意味を感じられなくなった人もいます。
もちろん、すべての女性が結婚や子育てを希望しているとは限りませんし、「結婚して子どもを産み、母親になることこそが女性としての幸せだ」というのは今では数多ある価値観のうちのひとつでしかありません。
しかしながら、実際にどのような選択をするかは別として、さまざまな可能性を考えている女性からすれば、霞が関で働き続けることはリスクに見えてもおかしくありません。少なくとも私には、リスクに見えました。
心身を消耗させるだけで20代が終わってしまう…
いずれ結婚し子どもが生まれた場合、家事や育児と両立できるのか。それ以前に結婚のことを考えたり結婚に向けて行動したりする時間的・精神的余裕やエネルギーがあるのか。多忙な仕事に理解があり、サポートしてくれるパートナーを得られるのか。過酷な勤務を続けているのに、子どもを産める健康な体でいられるのか。不妊治療が必要になったら仕事をしながら取り組めるのか……。
「長時間労働で辛い」ことは、単純に心身がもたないという問題にとどまらず、自分の人生の選択を狭めるリスクを孕んでいるように思えたのです。自分の大切な20代が、心身を消耗させるだけで終わってしまうような気がしました。就職前は、ここまで深くは考えていませんでした。
「就職前の私は、何を勘違いしていたのだろう」――これは自分の経験、そして周囲の様子からしても、女性官僚が就職後、数年してから抱きがちな思いであるように感じます。
就職前、私はキャリアのことで頭がいっぱいでした。働くことへの期待、公務員として、そして働く女性として活躍することへの希望。プライベートについては漠然と「なんとかなるだろう」と思っていました。
仕事も家庭も子育ても私ならどうにでもなる。大学までは、学業をこなしてきたように、きっとうまくやれるはずだ、と。しかし現実は違いました。実際に働き始めてみるとどうにもなりそうにない気配に気づきます。
思った以上に官僚の働く環境は厳しいし、人生を捧げたいと思えるほどのやりがいも見出せない。普通に働くだけでもギリギリの状態という人が大勢いるのに、子育てが加わるなんて想像もつかない。なんとかなると思っていたけど自分には無理そうだ。こんなはずじゃなかったのに……。
友人の結婚・出産の報告を耳にすることが増え、ようやく自分ごととして考えるようになった段階で、これからどうしようかと悩む人もいることでしょう。このままこの仕事を続けていていいのか、気持ちは揺らぎます。
ロールモデルがいない
ここで、「それでも家庭と両立しながら働いている女性官僚がいるではないか。気持ちと頑張りでどうにでもなるだろう」と考える方もいるかもしれません。
しかしながら、その「気持ち」や「頑張り」はすべての女性官僚に当てはめて考えてもいいものでしょうか。また「気持ち」と「頑張り」でどうにか両立しているように見える人は、本当にそれだけで上手く回せているのでしょうか。霞が関には現実的にめざせそうなロールモデルが少ないという点も、若い女性職員が将来像を見出しにくい要因のひとつになっていると考えます。
政府は「女性活躍」を進めてはいますが、それはここ数年の取り組みであり、以前は女性の登用人数そのものが少なかったことを踏まえれば、組織に残っている女性が少ないのは仕方がないことかもしれません。
しかしながら、私見では、現在の霞が関に管理職相当で残っている女性こそがイレギュラーなケースであり、ロールモデルにはなり得ないのではないかと思っています。「私にもできそう」という希望や安心感を与えてくれるロールモデルが滅多に存在しないのです。
たとえば結婚していない、または結婚していても子どもがいないケースなら、結婚・子育てを視野に入れている女性職員のロールモデルにはなりづらいでしょう。また結婚・子育てを経験している職員でも、「実家や夫の支援が手厚い」「仕事に強いやりがいを感じており、割り切ってベビーシッターや深夜保育にお金をかけている」といったケースの場合は、これらの条件をクリアするのが難しい女性にとっては現実的に感じられず、良いロールモデルにはなりません。
若い女性職員が安心して働き続けるためには、強靭なスーパーウーマンや恵まれた環境にいる女性の事例ではなく、だれでもそこそこ頑張ればたどり着ける「普通」のケースが必要です。
私自身、当時も今も子どもはいませんが、子どもができても実家が遠いため親の支援を受けるのは困難であり、また子どもを預けて夜遅くまで残業をする気にはならないだろうと考えていました。そして少なくとも在職中には自分にもめざせそうなロールモデルには出会えませんでした。
組織が変わらない限り、自分がだれかのロールモデルになれるとも思いませんでした。いろいろなものを犠牲にしてまで熱意を持って仕事に向かえる自信もなく、「10年後、20年後にもこの職場で働く未来は見えないな」と就職当初に思ったのを覚えています。
いずれ退職するならキャリアアップにこだわる必要もないし、むしろ若いうちに転職して別の場所で経験を積み、将来のキャリアやプライベートの選択肢を広げよう。そう考えるのは、女性にとってひとつの合理的な判断ではないでしょうか。
空転する「女性活躍」
前述の通り、政府は女性活躍推進を進めていますが、それも十分とは言えません。
私が官僚として働き始めた時期は、ちょうど女性活躍推進が謳われ始めた時期と重なります。政府が先頭に立って女性登用を推進するため、霞が関においても女性の採用人数が大幅に増加しました。 内閣官房が公表したデータによれば、国家公務員試験を経て採用された職員のうち、女性の占める割合は平成26年度から27年度にかけて26.7%から31.5%に上昇し、総合職にいたっては23.9%から34.3%と4割以上も増加しています。私が所属していた官庁にも同様の傾向があり、30人弱の同期のうち女性は10名を上回っていました。
しかしいざ就職してみてわかったのは、少なくとも私の目から見た限りでは、政府は「女性登用」を推進しているだけで、本当の意味での「女性活躍」を推進できているわけではないということでした。
その中身はこれまで見てきた通りです。採用した女性の将来をしっかりと考えないまま、受け入れる人数だけ増やした形です。
スーパーウーマンじゃなくても続けられる職場に
このように女性官僚を取り巻く状況には厳しいものがあります。今回挙げたもの以外にも、月経にまつわる問題など、過酷な環境への適応を難しくする女性特有の事情を抱えている職員は少なくないでしょう。男性ばかりの職場ではこうした悩みは相談しづらく、「相談しても心から理解してくれるはずがないし、弱いと思われて評価が下がるだけだ」と考えてひとりで苦しんでいる人もいると思います。 しかし大学時代まで男性と渡り合って成功を収めてきた女性の中には、私がそうであったように「自分になら何でも乗り越えられる」と思いこみ、仕事内容だけを見て就職先を選ぶ人も少なくありません。説明会で相手がスーパーウーマンとは知らずに話を聞き、「私もきっと大丈夫」と考える学生もいるかもしれません。その中には、本当に「大丈夫」な未来のスーパーウーマンもいることでしょう。
でも、だからといって、すべての女性が同じようになれるわけではないのです。だれもが強いわけではないし、仕事へのモチベーションを高く保てるわけではない。強いだけではどうにもならない問題もあるし、人生における仕事の立ち位置だって価値観だって、刻一刻と変わっていく。
身も心も強靭でなければ、あるいは大きな犠牲を払ったり、手厚い支援を受けたりしなければ残れないような組織では、今後もロールモデルになりそうでならない女性が残っていくだけでしょう。
就職当初、男性職員に「きみたちが女性職員のロールモデルになればいいんだ」と言われたことがありますが、これほど無責任な言葉はないと感じます。環境を改善することなく、耐えて耐えて耐え忍んだ女性や恵まれた環境にある女性をロールモデルとして崇めても、女性職員へのプレッシャーがますます強まるだけです。
政府はやみくもに採用人数を増やすのではなく、採用した女性が安心して働き続けられる環境とは本来どのようなものなのか、本当のロールモデルを作るためには組織がどう変わるべきなのか、真剣に考えていく必要があるのではないでしょうか。
本来、国の政策を考えて実行していくのはやりがいがあり、面白い仕事のはずです。それが就職後、あらゆるマイナス面によってかき消されて見えてしまうのは、男女に関係なく本当にもったいないことだと感じています。
「日本をもっと良い国にしたい」「利益にとらわれない仕事がしたい」 そんな強い思いを抱いて就職するすべての若者の熱意が生かされ、また自分自身の心と体も大切にしながら働ける組織に変わっていくことを強く願っています。
奥村 まほ